先月、友人と二人で栗拾いに行きました。向かった先はウチから車で30〜40分の山の上にあるSkyline Chestnuts Orchard。ようやく栗が落ちだしたばかりの時期だったのと、閉園1時間前という時間に到着したこのとで、完全に貸し切りでした。最初はよくわからずに、入り口で借りたバケツに栗とみれば何でもかんでも入れていたのですが、そのうち拾った栗に大小があることに気付き、それまでに拾った小さい栗は途中でバケツから放り出して、大きなものを選って歩くこと小1時間。ただ拾って歩くだけなのに、妙に楽しいんですわ、これが。もっとたくさん拾いたかったけど、そんなに拾ってどうすんの、って話で、5ポンド(確か$5.75/ポンド(=約450g))拾ったところで止めました。ま、十分です。
調べたところでは、栗は冷蔵庫で数週間保管すると甘みが増す、とのこと。しかし保管前と後を比べなければ、本当に甘みが増したのかどうかわかりません。とりあえず、すぐに栗ご飯を炊いて試食し、4週間が経過した先週、再度栗ご飯にしてみました。拾いたては、ただ栗の味のする栗ご飯だったものが、先週はビックリするくらい甘い栗の栗ご飯に変身。まー、驚いた。冷蔵庫の中に眠っている残りの栗がさらに甘くなるのかどうか。楽しみです。
それにしても、栗ご飯の写真って地味。
昨年は結局すべてのつぼみが落ちてしまって、開花には至らなかった小さなシャコバサボテンですが、今年もつぼみがつきました。今年は7つ(去年は4つ)です。毎年ちゃーんと同じ時期につぼみをつけるなんて、当たり前のようでいて、本当に凄いことだなぁと感心します。今年こそは、水やりを忘れずに、水をやってくれと夫に言うのも忘れずに、上手に咲かせたいものです。
すっかり日も短くなってきた10月半ばというのに、30℃。暑いです。
これは俗にいうインディアンサマー、でしょうか?
10月1日から8日まで、トルコに行ってきました。例によって夫の学会出張に便乗です。これまで、行ってみたいな、とも、行ってみようか、とも思ったことがなく、行ったことがないからいってみるかと出掛けたのですが、行ってビックリ。見どころ満載、食べ物も美味しくて、かなり好きでした。カッパドキアとイスタンブールにそれぞれ3泊したのですが、イスタンブールはまわりきれずに時間切れ。

<奇妙な造形の岩の立ち並ぶカッパドキア。堆積した火山灰と溶岩が、浸食された結果だそう。>
モスクや建物の装飾に使われているタイルの、様々なブルーやエメラルドグリーンがとっても素敵です。それに絨毯。いいわ〜。欲しいわ〜。
トルコの地は、数千年の時の流れの中で多様な文明・文化を育み、その積み重ねが現在にも息づいています。日々何気なく使っている"西暦"、一宗教が言い出した区切りにすぎないんだなぁ、ということに気付いたりもしました。
トルコ国内には、ほかにも興味深そうなところが散らばっています。ぜひまた訪れたいです。そのときには、たっぷり時間(と予算)をとって、絨毯をつれて帰りたいな。
↓ 旅行前に目を通した参考図書。
最近作った文庫本サイズのブックカバー。生地は表裏とも古い着物のリサイクルで、表は木綿、裏は絹の裏地です。小さい作品なので、そんなに時間を掛けずに仕上がるのが嬉しいところ。きちんと測って作っているのに、布の厚みできつくなってしまったり、かといってわずかに大きめにするとゆるくなってしまったり。ぴったりの大きさに仕上がると、それはそれは気分が良いです。
なんと気づけばもう9月。道理で日差しの角度が変わってくるわけだ。
8月は夫が上旬に日本、月末にドイツに出掛けて、合計2週間ほど一人で留守番をしていた。私は普段ももちろんゆっくりしているんだけれど、一人のあいだはどうしよっかなー、とちょっとわくわくしていた。が、これが案外あっという間。自転車部のBBQに参加したり、久々に会う友達がいたり、同じく留守番中の友達とご飯を食べたり。突然「今日、夕飯一緒にいかが?」と誘われて、二つ返事で出掛けたり。ずいぶんと楽しめるようになったもんだし、付き合ってくれる友達に囲まれているのは、何より有り難い。
アメリカで初めて留守番をしたときには、夫を車で空港に送っていくことも出来なかったし、夜にはやたらと心細かった。空港への送り迎えはその後必要に迫られて、何度も練習した。渡米後3年くらいたって1週間一人で留守番をしていたときに、友達と買い物に出掛けたり、夕ご飯を食べに出たり出来るようになった自分に気づいて、感心したものだった。
ゆっくりだけど確実に、私の暮らし、自分自身のネットワークがここに築かれている。あとどれだけいられるかわからないけれど、いる限り大切にしよう。